さてさて、早く違う文化圏に行きたい私は、ラオスを経由して中国を目指します。
チェンマイ→チェンコーン(国境の町)→フアイサイ→ルアンナムター→モンラーへと移動する予定です。
学生時代に、チェンコーンからルアンパバーンに行ったのですが、このラオスとの国境の町にはある思い出があります。
チェンコーンの思い出

まだ私が二十歳そこらの時のお話です。
タイ・ラオス・ミャンマーと周遊しており、ラオスへ渡るためにチェンコーンという町に滞在していました。
町をぶらぶらしていたら、タイ人の男の子A君に出会いました。確か歳は同じくらいだったと思います。
『コンニチハ』
A君は日本語を勉強しているから、しゃべりたい、と。
こういう時って迷いますよね。
現地の人からもらう優しさってたくさんあります。けれど、その半面、セクハラに合ったりとか、お金目的だったりとか。
でもその時は、そのA君がすごく一生懸命に日本語を使って話しかけてきてくれたんです。
見るからに純朴そうな青年で、手に持っている日本語の本はぼろぼろ。
ナンパかなと思いましたが、たぶんこの人はいい人だ、と直感的に思いました。

何故かヤクルトを買ってきてくれたり、お昼にはカオソーイをごちそうしてくれました。
どこかの寺に、行ったときに、池に魚が泳いでいたんです。
すると『チョット、マッテクダサイ』といい、突然どこかへ走って行きました。
戻ってくるとA君の手にはパンが。魚のエサです。可愛いすぎる!
A君のお父さんとお母さんが住む家にも行きました。
奥から出してきた日本語の勉強ノートを見ると、ひらがながびっしり。本当に勉強熱心なんだなぁ。
よくよく聞くと、ガイドになりたいんだそう。
それから、バイクの隣に付けたリヤカー(?)みたいなものに乗せてもらい町じゅうを走り回ったり(ちょっと恥ずかしかった)、メコン川のほとりを散歩したり。
最後は、ゲストハウスまで送ってくれ、お別れしました。
タイを出発する日
翌日、ラオスへ向かう時に、もう一度会ってお礼がいいたいな、と思っていたら、偶然(?)私を見つけ、A君は駆け寄ってきました。
その手にはカナブンが・・・
『コレ、アゲマス』と屈託ない笑顔で言われましたが、それはもっていけないので、お断りしました。笑
ラオスへ渡る船に乗り込む直前まで荷物を背負って歩いてくれ、最後に、A君は腕につけていたブレスレットを外しました。
そして、『マタ、アイマショウ』 『タノシンデクダサイ』と言いながら、それを私の手につけてくれました。
最後まで、いい人で、とても心のきれいな青年で、ちょっぴり涙が出てきたことを覚えています。
チェンコーンの町に着き、そんなA君のことを思い出していたのですが、当時の記憶をたどって、家を探してみるも、見当たりません。
あれは、どの辺だったのだろう。
A君今も、元気でやっているのかな。
日本語、うまくなったかな。