ウズベキスタンで、私がもっとも楽しみにしていたもの、それは
ナン です!!!!
シルクロードの食
このシルクロードって、食文化も西に行くにつれ、少しずつ変わってきているんです。
諸説あるとは思いますが、中国で生まれた麺文化は、西に行き、パスタになったとか。
ナンも同じく、西に行き、ピザになったとか。
このあたりはまさにシルクロードの中継地点。
中央アジアでおなじみのラグマン(麺料理)は、ウイグルでは、さぬきうどんのようなコシがあり、トマトベースの少しこってりした汁が少ないものだったし、キルギスでは、コシがない、やや細麺の優しい味でした。
食の移り変わりもまた面白いですよね。
(しかし、徐々に胃がこの辺りの羊肉を受け付けなくなってきました)
さて、ウズベキスタンのナンは、とにかくデカイ!そして分厚い!
保存食として買われ、水をつけて焼きなおせば、100年もつとか、もたないとか。
100年は言い過ぎだろう、と思うのですが、半年くらいは実際もつみたいです。
知りませんが。
大きいのはいいんですが、大きすぎるのもね・・・
タシケントに着き、ホテルのレートが悪くなかったので、両替をホテルで済まし、チョルスーバザールへ。
チンチョンチャンだのブルースリーだの言われながら、バザールをうろうろ。
巨大なドーム状のバザールでめちゃめちゃ活気があります。
そして、似たような丸っこいおばさん達がほどほどの愛想で商品をずらーっと並べた店を構えている。
この感じ大好きです。(笑)
外で焼き立てナンが売っていたので、買ってみたのですが、うんまい!
ぎっしり系でもちもちしていました。
しかし、大きさは、顔以上。
数日かけてちびちび食べていたのですが、最後はカチコチになって食べきれず、鳥のエサにしました。
日本人墓地
一通り、バザールを見たあとは、地下鉄とバスで日本人墓地へ。
タシケントにはナヴォイ劇場という劇場があって、当時、日本人の抑留者が作り上げたそうな。
それはそれは丈夫で、大地震にもびくともしなかったので、日本人の技術力がかなり評価されたとか。
その昔に日本から離れたこの地に連れてこられ、真面目に働き、
そしてこの地で息絶えた人たちがいるなら、
墓地に行って、手くらいしか合わせることくらいしかできないけれど、
歴史をあまり知らない私自身が興味を持つ何かのきっかけになればと思い、訪れてみました。
日本人ですしね。
辿ってみれば、私の、誰かの祖先かもしれないですし。
できるだけ、そういうところには行っておきたいと思っています。
墓地はきちんと手入れされた庭園風になっており、墓石には、亡くなった方の名前が掘られ、鎮魂の碑がありました。
周りには日本人だけでない墓石があるのですが、日本でみるお墓とはまた違い、墓石に故人の顔が掘られています。
おそらく写真から掘っていると思うんですが、かなり精巧です。
また、墓地に行く途中には
『1940年代 ウズベキスタンで生活した日本人の記録』展示場
というものがありました。
小さな家のようなスペースですが、中には千羽鶴があり、当時の写真や文献があり、きちんと管理されていました。
遠いウズベキスタンで何十年も前に日本人が生活していたことは、なんだか今の私には不思議な感覚でした。
あとから母との電話で知ったのですが、私の母方の曽祖父はシベリア抑留されていたそうな。
そんな話しは今まで全く聞いたことはありませんでした。
どこに墓地があるのかは母も知らないようですが、見えない何かが、私を日本人墓地に向かわせたのかもしれません。
ウズベキスタン人のチンポもデカイですよw エロネタですいません エへ
け、経験談ですかwww